こんにちは
お久しぶりです。
鷽も嘯く4月1日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私はぼちぼちでんな。
1月から3月、何くれと忙しなく、少し体調を崩したが、なんとか対応して、大ごとには至らずに済みそうです。
薬は、
朝
エビリファイ6mg→9mg→12mg→15mg
と、増薬しましたが…
まあ、飲まずに悪くなるよりも、飲んでぼちぼちやってくのが良かれでやんす。
近所の神社でおみくじ引いたら、
「病気:ながびきますがなおります」
ってことだったし。
気長に付き合っていこうじゃないの。
嘘から出た誠、なんて言葉もあります。口に出せばそれはいずれ真実になると信じて。
みなさまもどうぞ、素敵なエイプリル・フールをお過ごしください。
なんとなくだけど
鏡像段階について
- 作者: 内田樹
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ところで、もし鏡を持たない社会集団があったら、そこにおいて鏡像段階はどうなるのでしょう?
たぶん、鏡を持たない社会集団でも、鏡像段階はある、と思う。
では鏡を見るかわりに、どうやって「象徴的意識」を得るか?
その答えは、トンネル、にある。のではないかと思う。
自閉症を持つある子供が、トンネルをくぐること、や、閉じられたドアを開けて向こうがわに行くこと、を怖がる、という、話を、聞いたことがあって。
何故怖いか、というと、自分を俯瞰で見ることができない、ニアリーイコール、象徴的意識が芽生えていない、から、トンネルの向こうにいる自分を想像できない、みたいな…このへんうまく捕まえて、言葉にすることができないんだけど。
トンネルをくぐる、ということと、鏡を見てそれをわたしだと思う、ことは、つながってるんじゃないかなあ、という思いつき。
だからこそ、茅の輪くぐりとか、胎内めぐりとかがあるのかなあ、とか。
アリスもラビットホール抜けるし。ルッキンググラスをスルーするし。
うー、思いつき書きなぐり。